ヤギの最期の刻一刻と変化していくこと、読むと怖い、不快と思う方は、以下をお読みにならないことをお勧めします。ただ、私がヤギと共に歩んできた人生において、ヤギの力一杯生き抜いた記録として、ここに記しておきたいのです。

■3月16日深夜〜3月17日

3月16日夜、須賀さんご夫妻たちとお別れした21時半〜深夜〜17日早朝にかけて、刻々と変化あり。意識混濁する中、どんどん動けなくなっていくのに、それでも1時間半毎にトイレには自力で行こうとする(掛布団を跳ね除けて戻れないでいる)。ベッド上でも動けないほどなのに、朝方5時半、私がお風呂に入っている間にベッドから降りて戻れなくなり突っ伏している。意識はあるので「もう、もう、お願いですから、じっと寝ていてください…」と何度もお願いし、ベッドに引き上げる。

3月17日早朝4時40分、今までヤギの闘病を一切伝えていなかったカメラマン・佐藤振一氏に、ヤギの現状を知らせるメールを送る。今まで気になっていた心の重りが少し取れて、ホッとする。

8時頃、主治医と電話相談。夜中の詳細な状況を伝える。

13時前に東京からカメラマン・佐藤振一氏がご夫妻で駆けつけてくれる。

13時過ぎ、主治医往診。痛み止めの液体薬の処方を決める。3月18日朝から日本バプテスト病院のホスピス入所の内定がもらえる。本人も「明日からホスピスに行きます、お願いします」と主治医に自分の意思で伝える。

夕方までしばらくの間、ヤギはベッドで寝ながらも、佐藤さんと一緒に過去のデザイン作品の写真を眺めながら、時々一緒に歓談する。

16時、液体痛み止め薬剤が届き、主治医によりセッティング完了。ホスピスの看護師さんとも入院準備の確約を電話打ち合わせ完了。これで今晩一晩安静にしておけるとホッとしたのも束の間。お腹が空いているだろうと「いちご食べますか?」「食べます」と言うので、キッチンでいちごを洗おうとした矢先、16時40分頃から痛みが激しくなり、佐藤さんに部屋に呼ばれる。脂汗をかきながら、今までにない引き攣るような激しい痛みを訴える。力一杯手を握り締めながら、懸命に液体痛み止め薬剤を入れるが、16時50分頃息が止まる。瞬間、主治医に緊急連絡。蘇生しながら主治医到着を待つ。17時05分頃主治医到着、佐藤さんご夫妻と3人で臨終を確認。3月17日(日)17時15分、永眠。

その後、佐藤さんご夫妻が深夜までずっと付き添ってくださる。18時半、家族に連絡。18時50分、葬儀社に連絡。19時、大学の荒川先生に連絡。19時40分、葬儀社到着し、お身拭いなど行っていただき、明日からの相談をする。21時半、荒川先生と河合先生が駆けつけてくださる。お顔を見ていただきながら、ヤギのやってきた大学でのお話を伺い、感慨深く、感動する。

 

■3月18日

9時半より葬儀社との打ち合わせ。佐藤さんご夫妻が同席してくださる。

葬儀の基本プラン、通夜をする・しない、お花をいかにシンプルなデザインイメージに近づけるか、故人の好みも熟知している佐藤さんを交えて、あーだこーだと葬儀社さんを困らせながら、11時半頃詳細な内容を決める。

本当は葬儀自体する気が全く無かったんです。故人のヤギも私も、究極のシンプルが好みなので、火葬のみでいいか、と。八木家親族の意見を聞くと、家族葬にはしたいらしい。大学の先生方とのお話で、若者たちにお別れを言える機会をきちんと作ってあげて、想いに区切りをつけさせてあげるべきではないか。ということで、通夜式のみ在校生・卒業生、友人知人、大学関係者の皆様など、何方でも来られるような形とすることを決める。

告別式は、高齢の家族の負担を極力少なくしてあげたかったので、八木家と勝野家、大学教職員の方々のみとすることに決める。

午後、各所への連絡と、個人的な弔問客の対応。18時半、大学より大学関係者・卒業生へ一斉告知。19時、SNSの私のアカウント、Love the Lifeアカウント、ヤギのアカウントにて告知。(これでもほとんど寝ずに一生懸命やった結果なのです。皆さんへのお知らせが遅くなってごめんなさい。)

 

■3月19日

7時〜9時、むーちょさんと遺影にする写真の相談・データ加工をお願いする。遺影用写真を決定し、解像度の確認、出力範囲の確認。

10時、遺影用写真データを葬儀社の写真部に入稿。

12時、葬儀社到着。納棺の儀を葬儀場で行うため、自宅より故人と共に出発。遺影写真、すでにできあがり、自宅用の額装された遺影をもらう。遺影がバッチリ綺麗にできあがって安堵。

13時、葬儀場に徳島より八木家到着。

13時半より、納棺の儀を行う。無事に終了。

16時半、友人のYちゃんが、有給休暇を取って、お手伝いに来てくれる。家族の食事の買い出し、足りないものの買い出し、諸々裏方を細やかに手伝ってくれ、とても助かる。喪主はその間、葬儀の弔電の確認・順番の指示、お坊さんとの打ち合わせなど、息つく暇もなく。家族とも和気藹々と楽しく接してくれ、家族の気持ちが落ちないように、万全の気遣い。本当にありがたい。

18時過ぎより、弔問客が続々お集まりくださる。

19時より、通夜式開始。 開始後も続々と弔問客が続き、計270名もの方が訪れてくださる。たまたま空いていた隣室も一杯、葬儀場の一階ロビーまで一杯になり、立ち見の方まで出たそう。想定の2.5倍以上の弔問客でしたため、ご不便をおかけしましたことお詫び申し上げます。

〜21時半、通夜式終了。遠方から駆けつけてくださった在校生・卒業生、友人知人、大学関係者の皆々様、誠にありがとうございました!!!こんなにも故人が慕われていたのか、驚きと感動。皆様には私もたくさんの勇気をいただいて、感謝しかありません。通夜式を行って、本当に良かった!

 

以上が葬儀までの経緯です。

 

【最後に】

3月18日からホスピスに入所が決まっていたのに、本当はきっと行きたくなかった、最後まで家に私と一緒に居たかったんだと思います。卒業式の日には呼吸器を付けるように主治医に言われても、大ごとでカッコ悪いと拒否し、卒業式も息絶え絶えにもミッション完遂し、最期の夜まで友人と食事をし、最期の最期には Love the Life 作品の命である、カメラマン・佐藤振一氏を呼び寄せ、私が一人で困らないようにしてくれたのかな、と思います。

ただ、昨年入院中で観ることができなかった 京都の桜 を観せてあげたかった、ふたりで一緒に観たかった…。それだけが心残りですが、私の4月からの大学の準備、いろいろ考えての結末だろうと思います。

最期の最期まで、人工的医療処置を受けず、一切管に繋がれることなく、寝たきりになる一歩手前で私に迷惑をかけないように、自分自身でロウソクの灯火を消して人生を終えた。究極の自然死、見事な人生の終末であった、と讃えてあげたいと思います。

 

《デザインを受け継いでゆくこと、繋いでゆくこと》

哀しみはしばらく続くと思いますが、皆様のお心の中に、ヤギのデザインへの想いを、ずっと繋いでいってくださることが一番の供養であると願っております。私自身もヤギの成し得なかったことを引き継いでいけるよう、勉強して頑張りたいと思います。また皆様へご協力を仰ぐこともあると思いますが、その際はぜひともご協力の程よろしくお願いいたします。

3月31日に企画していた、レクチャー「ポストモダン再考」は一旦白紙とさせてください。ご期待くださっていた、ヤギに会いたいと願ってくださっていた皆様、誠に申し訳ありません。

その代わり、5月の新緑の美しい頃に、京都造形芸術大学「BREATH KUAD」 にて、ヤギタカシの功績を、Love the Life のデザイン活動をご高覧いただける、小さな展覧会をすることになりました。会期中には、私たちが大好きな名勝庭園「無鄰庵」にて、夜風に吹かれながらの追悼落語会も行いたいと思います。また、詳細は準備が出来次第、大学広報・SNSにてお知らせして参りますので、どうぞ楽しみにお待ちくださいませ。